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TEST_コドモノプラスラボ3

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ブラジルのクラブよりも好条件の日本へ

 中学生のころからアルバイトを始め、高校生のときには朝から夜まで複数のアルバイトを掛け持ち。そんな中、草サッカーの大会に出ているときにスカウトされ、18歳でプロサッカー選手になる。

「うれしかったですよ。当時はプロといっても今みたいに何百万円、何千万円ともらえる時代じゃないけど、夢が叶(かな)った瞬間でした。でも、そこからが大変。自分のポジションを獲得するために認められなきゃいけないから、毎日が戦いでした」

 懸命にプレーする姿が、日本から来ていた日系2世選手の目に留まり、“日本でプレーしないか”と誘いを受けた。

「ブラジルのクラブよりも条件がちょっとよかったから、OKしました。もう1年ブラジルで頑張ってポジションを取ってたら、もっといい給料をもらえていたかもしれないけど、家族の生活のために1年は待てなかった。お母さんはすごく反対したけど、兄は“いいじゃない、あなたの人生だから。2年行ってダメだったら帰ってくれば”と、快く送り出してくれました」

'77年に来日し、現・東京ヴェルディの前身にあたる読売サッカークラブに加入。言葉の壁はあっても、サッカーのスキルでは負けない。しかし、早く認められようと必死になったことが裏目に出てしまう。出場6試合目、相手チームの選手との接触を巡ってトラブルとなり、退場。さらに、信じられないほど厳しい処分を受けたのだ。